
パラカップ2006年からボランティアスタッフとして参加、翌年の‘07から、ボランティアスタッフ満足チームのリーダーを務めている、大野佳祐さんにお話をお聞きしました。
パラカップに関わることになったのは、2006年からですね。
僕は、「マンディ」というバングラディッシュにあるマラリア感染地区にある診療所を支援する団体をやっていて、このメンバーの一人(笠原広雄さん)が、既にパラカップに関わっていました。彼から誘われて、当日ボランティアスタッフをしたのが始まりです。
2006年は、多摩川の上流の、京王線多摩川駅のほうで
行われたのでしたね。
Tシャツと赤いコーンを渡されて、7キロの給水地点に行きました。多摩川沿いの道は、単なるサイクリングロードだし、狭いし、本当にこの道をランナーが走ってくるのかなぁと実感が湧かないまま、同じエリアのスタッフとのんびり話しながら準備を始めました。しばらくすると、ものすごい勢いで、先導の自転車が走ってきて、続いてトップランナーが駆け抜けました。あっという間の出来事で、水を渡すどころではありませんでした。また、少しカーブしているエリアだったので、ランナーと一般の人がぶつかったりしないように、誘導する必要があることに気が付きました。ランナーはどんどんやってきますし、自転車も通るし、はっきり言って相当危ない!こちらも必死です。そのうち、同じエリアのスタッフが、ランナーとハイタッチを始めました。苦しそうな顔をしているランナーが、ハイタッチの瞬間にふっと笑う。やり続けると、バチンバチンと、手が腫れるくらいに痛い。でも、ランナーとのコミュニケーションすることが快感で、一気にテンションが上がり、大声を張り上げながらハイタッチしまくりました。そのせいでGショックが壊れたのには驚きましたが。俺は一体どれだけハイタッチをしたんだろうって(笑)
翌年、2007年はボランティアスタッフのリーダーとして大活躍でした。何か新しい試みもあったとか?
ボランティアスタッフの感謝状を作りました。パラカップは母体集団のパラサイヨのほかに、マンディ、アデオジャパン、サントニーニョファンドかものはしプロジェクトなどのボランティア団体が関わっている、文字通り、世界の子供たちへの支援を行う、チャリティーマラソン大会です。ランナーは、ゴールで子供たち手作りのメダルを首にかけてもらう瞬間に、それを実感しやすい。自分がこうして走ったことが、子供たちの役に立っているんだなぁと感じることができる。ボランティアスタッフには、そういう瞬間がありません。でも本当は、彼らにこそぜひ感じてほしい。ボランティアをするために、2000円払って、ランナーを支えている彼らこそ、大会の主役なんです。本当はボランティアスタッフのゴールテープも作りたいくらいですよ。感謝状は、ボランティアスタッフ一人一人の力が結集して、パラカップをつくり上げていて、更に、それが世界の子供たちともつながっているのだということを実感してもらいたくて作りました。
ボランティアに、大野さん自身は抵抗ありませんでしたか?
「ボランティア」という言葉には、なんとなく恥ずかしいというか、自己犠牲的な響きがあるように思います。だからこの言葉には少し抵抗がありますね。でも実際にはちっとも自己犠牲なんかじゃない。まず自分が楽しくて、それが実は、他の誰かの幸せにつながっていることがわかるから、余計に楽しい。ただそれだけなんだと思いますね。
大野さんが設立当時から関わっている「マンディ」は、どのような団体なのでしょうか
マンディは、ネトロコナ・ビリシリにあるダハパラ診療所を支援している団体です。自分は、まだボランティアとか、国際協力とか、そういったことが全くわからない大学生の時に、単純に、他の人があまり行かない外国を見たいと思ってバングラディッシュに行きました。3週間のスタディツアーで、まさに未知との遭遇。行ったのは、怪我をしたらまじないしのところへ行くような、未開の地でした。とにかく子供が可愛くて、サッカーをして遊んだのを覚えています。遊べば、生活を共にすれば、言葉が通じなくても、コミュニケーションはできます。そうして仲良くなった相手に、最後の最後で1ドルほしいとせがまれて、ショックを受けました。でも、彼らと関わってしまったから、もう他人事には思えない。訪れた診療所は、3ヵ月後に閉鎖することが決まっていました。診療所のある、ネトロコナ・ビリシリでは、年間約200人がマラリアで亡くなっていました。現地の人は何も知らないので、マラリアの恐ろしさを伝えると共に、予防・対処・生活指導なども必要です。年間で必要な金額は40万円。大学生には大金です。仮に集められたとしても、そんな簡単に人の命を預かる事はできないとか、様々な議論が繰り広げられました。僕は最初反対派で、簡単に手を出して、続けられなかったらどうするんだとメンバーに話しました。そしたら他のメンバーがこういったんです。「何もやらないであきらめるのは馬鹿らしい」…確かにそうだ。それで、渋谷の街頭に朝から立つことになりました。真冬の寒い日で、警察署に届け出て、大声を張り上げて主旨を訴えました。そしたら、なんと一日で13万集ったんです。みんなお金を数えながら泣いていました。これで何人の人が助かるんだろう…。この時こみ上げてきたものが、僕らの原点です。13万集ったことで、もしかしたら40万いけるんじゃないか、という気がしてきました。結果として、YMCAに母体になってもらい、共同プロジェクトとして9年続いています。今はもう、マラリアの死亡者は一人も出ません。これは考えてやったことではありません。よくよく考えていたらできませんでした。なんだか気持が突き動かされて、何もしないではいられなかった。始まりはそれだけなんです。でも、実際に動いたら、楽しい。何もしないでいるよりか、はるかに面白いことがたくさん起こってくる。だから9年も続いているのだと思います。
パラカップに関わって3年目。今年はどのような大会にしたいですか。
今年は信頼を重ねることだと思っています。ボランティアスタッフが、当日何をすればいいのかきちんとわかっていて、無理なく一日を楽しむことができて、終わった時にきちんと感謝を伝えることができる大会。自分のやっていることや、払ったお金が、どのように役立てられているのか、ちゃんと実感できる大会。それを目指します。そして彼らの中でも何かが始まったら最高ですね。それはどんなことでもよくて、参加者の中でコミュニティができることでもいいし、この体験を通じて、今までよりももう少し世界のことを考えるようになるとか。あの大会があったから何かを始めた、というような、彼らにとって心を揺さぶられるような体験になればいい。
パラカップのゴールはなんだと思いますか?
ゴールはなにかな。想像できないくらい未来が広がっている気がします。僕はそもそもマラソンというスポーツにこだわりはありません。みんなで泳ぐんだって、踊るんだって、歌うんだっていいと思います。ただ、マラソン大会のいいところは、じゃあ、フィリピンでやろう!というときに、比較的に簡単なんですよね。走るだけだから、道があればできるんです。それに、参加できる人数が多い。これは大きいですね。サッカーだったら、22人しかプレイヤーとしては参加できません。でもマラソンなら、何十万人がプレイヤーとして参加できる。これだけ多くの人間が同じ体験を共有できるのは、すごいことだと思いますね。参加人数を単純に増やす、ということが目的ではないけれど、パラカップのテーマになっている「喜ばれる喜び」や「分かち合う感動」を、もっと多くの人と共有できるようになる、それがパラカップのゴールじゃないかと思います。
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